フィンランドメソッドとマレーシアと

 タイトルは

ここ数日の心の動きです。

興味のあること(以前あったこと)をもう一度見直してみようとして、きっかけとなった本(ドイツ節約生活やオランダ節約セラピー)を読んでみようとして、近くにあった本がフィンランドメソッド。教育にも興味があるので、そちらにも手を伸ばしたところ。

 

もともとイエナプランや森の学校にも興味があって、子供が子供らしく過ごしながら子供の持っている好奇心に沿って学ばせると、無理なく子供がすすんで学んで表現する子供になるよ、ということを日本でももっと生かせたらいいのにと思ったことがきっかけ。

 

フィンランドメソッドについての詳細はいろんな物に書いてあるだろうから割愛しますが、とにかくたくさん読むこと、しっかり読むことを基本にして、情報を的確に伝える(盛り込む)こと、どうしてそうなのかの理由を肉付けすること(ここ日本人苦手なところ)、全方位から問題を眺めてこの場合はどうして?をたくさん重ねて姿をはっきりさせる。また、表現をするのにはフォーマットがあるから、それを徹底して自動的に出てくるまでやる(コミュ障の雑談にも効果的)

これ、使いようあると思うんですよね。数学的、理論的に物事を考えて、感情的になりすぎない。

感情的になりすぎることを防げば、解決方法を探りだす。建設的にものが考えられる子は、将来的にも窮地に陥ってもしっかり物事が考えられ、解決法を考え実行する→本当の意味でのライフハック

 

この後に偶然手にしたのがマレーシアに子供を留学させた親のはなし。本人も日本的なレールに乗っかった人生を送り、自分に合わなさ過ぎて失敗した方(といっても90年代のアスキーに勤めているから失敗でもなさそうですが)。

子供が学校でいじめにあって、毎日辛い辛い言いっているので、マレーシアに親子留学したら子供がハッピーになったよ、という話。

 

マレーシアでもいじめはあるし、だけどハッピーでなくなったら転校するのは当たり前というので、子供も何回か転校したらしい。でも、転校すればいじめもなくなって、またハッピーになる。

子供は好奇心旺盛だから、知ることは基本楽しいこと。わかるって面白い。

 

学校が嫌になる原因なんて、いじめや雰囲気のあわなさや、わからないことについていけない(わからないことをわからないままにしない)や、逆に進みが遅すぎて話を聞いていられない(能力の違い)からだと思う。あとは同じところに毎日通い続けることのハードさとか(発達障害の場合とか)。

 

自分を受け入れてくれて、学ぶことが楽しくて、人間関係で不幸にならずに、色眼鏡で見られることなく自分がきちんとみとめられてると、自分に置き換えても楽しいだろうと想像できる。

 

もちろん、日本的なドラゴンボール巨人の星のように努力することを否定するわけではない。ただそれは、努力と継続の向こうに期待するものがあるのなら。努力が実を結ぶならやるとおもう。けど、そういうものがないことが分かっていれば努力はできないし、思っていたものと違うものだったりすると、やる気はでないかも。

 

さて、努力したところでガラスの天井があったり、変な奴隷扱い労働に巻き込まれている日本の昨今、考え方を努力志向から楽しい事思考にシフトしてく頃なのかなと感じる。楽しんで好きなことやってきた人が人生楽しいのは当たり前。

その中から、気になることややりたいことが見えてきたら、その時に努力志向に変わればいいんじゃないかな。

なんの目標もなく、ただいい点数とればいい学校に行けるから、は、今の時代辛いんじゃないかな。

もちろん、やりたいことに対する間口は広くとって(大卒資格とか英語ぺらぺらとか)社会に対するハードルをスキルで低く設定したらあとは楽だし、そのあとに好きなことをするっていうのはありだと思います。

 

自分で楽しく暮らしていく才能や社会をもっとよく暮らしてく才能を授けるのが、大人の役目なのかな。